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バスマガジン 4号

「新しい生活様式」のもと、いきなり遠出するわけにもいきません。ネタが無ければ感想めいたものでも書こう!
というわけで、雑誌や書籍刊行時点でのバスに関する話題や取り巻く状況・環境を知ることで現在が見えてくる!建前(小生の勝手な思い込みとも言う)のもと、小生所有のバス雑誌等々の感想っぽいものを書いていく戯言集。
先月発売のバスマガジン101号の事業者潜入レポートが遠州鉄道の2回目でしたので、今回は1回目に取り上げられた、2004年4月刊行の『バスマガジン 4号』をプレイバック。

編集体制が変わってからというもの、前号で予告されたものがほとんど掲載されない状態のバスマガジン。では、2004年当時はどうだったのか?念のためチェックしてみましょう。
 前号の予告は、「 路線バス仕様の代名詞といわれる 日野・ブルーリボン大特集」、「讃岐うどんを食べ尽くせ!路線バスの旅」、「札幌市営バス全面移管後の路線とバス」、「三菱・エアロノンステップHEV試乗チェック」、ほかとなっていました。
残念ながら三菱エアロHEV試乗記事の掲載はありませんでした。多少の予告詐欺は旧編集体制時代からの伝統ということが判明!。

巻頭特集は「路線バスの代名詞 日野・ブルーリボン完全ガイド(前編)」。ブルーリボンを冠した日野のバスを紹介する企画で、今回の前編では「80年代以前の車両と、80年以降の路線バス 」を取り上げています。記事のメインは80年以降の路線バスとなっており、82年に「国内大型路線バス初のスケルトンボディとして登場したRT 」から、現行販売モデルのブルーリボンシティまでを網羅。取材をもとにした現車記事と、型式やグループごとの概要について多くの写真をもとに解説した記事の2本立てという構成。こんな構成の記事は旧編集体制のバスマガジンではおなじみでした(遠い目)。


スケルトンボディで登場した初期グループのブルーリボンは「サイド腰板部分にモールがついている 」ことや、「直線的なデザイン 」となっている後面が特徴となっています。画像は2009年5月に記録した観光マスクのブルーリボンを後から。初期グループの観光マスクは「観光スケルトンに準じたボディ 」となっていました。記録時点では九州産交バスで教習車となっており、白ナンバーをつけていました。既に抹消済みとなっているので、ナンバーは隠さずにしております。
 

沖縄22き526.2008年5月に記録したものを再掲。
ボディは「85年にマイナーチェンジ 」し、「後ろ姿がいままでの直進的なものから若干カーブしたデザインに変更 」となりました。画像は琉球バス交通に在籍した横浜市交通局から移籍した86年車です。このあたりの車両は、まだ側面にモールが取り付けられていました。

 
宇都宮200か456.2008年10月に記録したものを再掲。
85年のマイナーチェンジから90年までの間にも「車体構造の変更や側窓の大きさ、屋根の深さの変更などのマイナーチェンジ 」が続けられます。画像はP規制車最終期の製造車で、正面の行先表示部を除けばほぼU規制車と同じような造りとなっています。
 
白黒頁では、「民間移管が続く公営交通バス事業 その過去・現在・未来」と題した特別企画記事を掲載。2004年3月いっぱいで営業を終了した札幌市交通局の路線バスの話題では、営業最終日となった3月31日から北海道中央バスによる運行初日となった4月1日の新川営業所の動きをまとめています。


札幌22か2850.2011年7月に記録。
手持ちの札幌市営バスに関する画像から、じょうてつに転籍した日野車。じょうてつは札幌市交通局のバス事業廃止を受け、真駒内エリアを担当していた藻岩営業所を引き継ぎました。画像の車両は、起・終点を表示した札幌市営バス時代の方向幕を引き続き使用していました。

あわせて、熊北産交への完全移管を翌年4月に控えた熊本県の荒尾市交通局についても紹介しています。「日本一小さな市営バス 」ということで、2004年3月31日現在の全在籍16両の写真を掲載。

 
熊本22か3232.P-MP218K(87年車)。2009年5月記録。
手持ち画像から、荒尾市営バス移管車の三菱ふそうMP。荒尾市営バスがコストダウンのため92・95年に導入した鹿児島市営バス移籍車を早々に代替するため97~98年に8台導入した都営バス移籍車のうちの1台。「元「グリーンライナー」の車両で87年式のS代車 」とのこと。産交移管後は熊本市内への路線にも入っていました。

減ったとはいえ、2004年時点ではまだ岐阜市営バスや秋田市営バスなど、まだまだ日本全国各地に公営交通バス事業者がありました。それが、2020年までの間に小規模な地方都市だけでなく、大阪市交通局までも姿を消すことになろうとは・・・。
 
「路線バスに乗ってさぬきうどんを食べつくせ!」は題名のとおりの食べ歩き企画記事。香川県のうどん店を琴平参宮電鉄のバスを利用する丸亀・琴平コース、ことでんバスを利用する高松市内コース、大川バスを利用する東さぬきコースで周遊できることを紹介しています。現在も路線があるのか、そもそも店が営業しているのか気になるところ。
バス会社潜入レポートは静岡県の遠州鉄道。あわせて貸切子会社の浜松観光自動車とニュー浜松観光バスも取り上げています。
記事では96年の「オムニバスタウン」指定による様々な施策を中心に、在籍車両や歴史を紹介。この号が刊行した04年4月から沿線エリアで「浜名湖花博」が開催されたばかりでもあり、開催記念で運行していたラッピングバスの写真もあります。

掲載時点の在籍車両ですが、「遠州鉄道は627台 」、「ニュー浜松観光バスは62台、浜松観光自動車は52台 」となっており、最古参格が87年車となっていました。2020年には1台もなくなってしまった中型乗合車ですが、当時はP規制車の88~90年車を中心にまとまった台数在籍していました。中型車の代替がほとんど無い状態が続いていたことから、遠州鉄道では既に中型車運行路線からの撤退を決めていたのかもしれません。
また、大型乗合車も標準尺車を中心に長尺・短尺車も在籍していました。


浜松22か2374(93年式)U-MP218P改。2007年12月に記録。
手持ちの長尺車画像から、三菱ふそうMPのP尺車。刊行時点で長尺車は93年を最後に導入が無く、消え行く存在という感じでした。それが2000年代後半から再び導入することになるとは思いもよらず。


浜松22か2562(95年式)U-MS826P。2007年12月に記録。
貸切車は「グループ3社で共通のラインナップを用意し、定員やシートアレンジの種類も多い 」陣容となっていました。画像は標準的なハイデッカー車から、三菱ふそうMS。U規制車のニューエアロバスで、この日は浜松オート送迎で使用していました。本作掲載時点ではニュー浜松観光バス所属車でしたが、記録時点では合併により浜松観光バス籍となっていました。
 
連載記事は創刊間もない4号時点で多数あり、しかもバラエティに富んだラインナップという状況。まずは短期集中連載の「西日本車体工業のバスボディ大研究」を紹介。最終回となる今号の第3回では、「一般中型車」、「スペースランナー」、「JP系」、「RN系」、「9m大型車」、「小型バス」を一気に紹介。さらに当時小倉北区にあった製造工場も取材し、西工のバスボディ製造工程を紹介しています。

 
社番:12707.U-RJ3HJCA(94年車)。2017年9月記録。
せっかくですから、この記事についても手持ち画像を並べていきます。「一般中型バス」項目として紹介しているのが、「大型のB型の58MCを、観光バスは大型のS型を、それぞれそのまま中型にしたようなデザイン 」の車両。画像は58MCタイプの中型車から、大分バス在籍の日野RJで、ツーステップ車ながらステップ高を低くした仕様で、とくに中扉部分が下がった特徴的な外観となっています。

 
社番:C784.KC-LR233F(98年車)。2018年2月記録したものを再掲。
中型車も「96MC登場時には同様のモデルチェンジ 」を行っています。高槻市交通部に在籍する「狭隘路線で使用されるショートホイールベース車 」の写真が掲載されていますが、ここでは移籍した後年の姿を。1台が山梨交通に移籍し、純正ボディが多い中で異色の存在となっていました。


大分22か1487.P-RB80E(89年車)。2009年5月記録。
「スペースランナー」項目は、1988年に「西工だけが標準ボディとして採用され、全国に幅広く販売された初めての例 」となった日産ディーゼルの中型バスRB~JM系を紹介。
フレーム付シャーシの中型バスで、いちはやく「フラットな床のワンステップバスの設定 」を行いました。ボディは、「窓は各面とも大きく、特に正面は方向幕部分を含めた大きな1枚窓 」を採用し、「デザインの斬新さは16年経った現在でも充分に通用 」とべた褒めです。
画像の車両は大分交通に在籍したRBの短尺車。

 
社番:B331.2013年5月記録。
「スペースランナー」はのちに、「ハイデッカーを除きRM系に統合 」され、「路線バスタイプはスペースランナーの呼称 」も消えてしまいました。しかし、「西工製にのみノンステップバスやノンステップCNGバスが設定 」されたことで、全国でこのボディを見かけるようになりました。画像は関東バスに在籍していたKK規制車のRMノンステップ車。
 
 
熊本22か3062.KC-JP250NTN。2017年4月に記録したものを再掲。
「JP系」は 、先ほどのフレーム付ワンステップバスのJMを長尺改造により誕生したモデルで、「93年10月にJP系として専用の型式 」として全国販売を開始しました。
西工ボディでは、JM系スペースランナーと同様のボディと、B型をベースにしたものとの2種類が設定 」されました。画像は熊本電鉄に在籍していたKC規制車のJPワンステップ車。JP販売初期に西工ボディを採用したところは、B型ベースは西鉄くらいで、あとはスペースランナー顔のボディを採用したような印象ですが、実際のところはどうなんでしょうか。


車号:6-4477.2008年12月記録。
小生が西工ボディを目にするようになったのは、やはり当時の京王帝都電鉄がまとまった台数のJPを導入したことでしょう。このとき導入したJPはB型とスペースランナー顔を組み合わせて「富士のようなマスクを付けている 」特徴的な仕様を採用しました。このマスクは京王だけでなく、画像の横浜市交通局にもまとまった台数が導入されました。 

 路線バス全方位レポートは「群馬県」。全国でもトップクラスの1世帯あたりの乗用車保有台数を誇る土地柄もあって、路線バスは衰退の一途。そのような状況の中で、「群馬県全域で運行数が増えている行政主導の21条バス 」の話題などを紹介しています。 
 
 
群馬200か21.2008年11月に記録したものを再掲。 
このころの群馬のバスといえば、京阪バスからの移籍車が各社に在籍していました。画像は群馬バスに在籍していた日野HT移籍車。 
 

群馬中央バスにもまとまった台数の京阪バス移籍車が在籍していました。ちなみに「路線バス全方位レポート」の連載初期は事業者提供の資料を基にした「車両データ」を掲載していましたが、群馬中央バスは「協力いただけませんでした 」というおことわりあり。残念。画像は2006年3月に記録したものを再掲。当時前橋駅近傍にあった群馬中央バス本社横が待機場として使われており、こんな画像を記録することが出来ました。
 
1970年代に日本全国のバスを撮影した思い出話をまとめた「愛しいバスたちよ」。連載3回目となる今回から全国のバス事業者を訪ねた回想記がスタート。今回は関東地方のバスから、「なかでも個性的な、思い出に残るバス 」ということで西武バスに在籍した三角バスや伊豆大島へ東海汽船直営時代に訪問した思い出を紹介しています。

「観光バス定点観測~あの日、あの観光地にいた!~」は石川県金沢市の兼六園周辺。
全国の現役ボンネットバスを紹介する「ボンネットバスにゆられて」は、近江鉄道が運行する「彦根ご城下巡回バス」の乗車紀。
短期集中連載の「方向幕」は巻き取り機の種類を取り上げています。この連載を担当している方は、現在のバスマガジンで「方向幕の世界」を連載中です。

そのほかにも様々な記事や連載満載、内容盛りだくさんな1冊となっています。見返してみると、それぞれの記事から様々な「バスが好き」という執筆者の思いを感じます。この「バスが好き」という思いは、だんだんとバスマガジンから感じられなくなってしまい、いまや締め切りに間に合わせるように作っているだけの適当な記事に、スポンサーへの提灯記事ばかりに成り果ててしまったのが残念でなりません。

次号予告は「富士重工業のバスボディ大研究」、「バスファン・ビギナーのためのバス基礎講座」、「観光スポット周遊タイプ路線バス」、「夜型人間で満員御礼・深夜バス」ほかとなっています。ちなみに富士重工業の記事は次号掲載とならず、次々号(6号)から連載スタートとなります。
  
なお、本文中の「斜字 」部分は同誌からの引用部分、掲載画像の型式・年式は掲載の車
両一覧を参照したものになります。
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