先日1つ目のブログでも記しましたが、久々に勝田台駅周辺に立ち寄り、東洋バスの
車両を眺めました。西工ボディが登場したり、中型車もワンステップ車が標準となるな
ど、だいぶ様子が変わったことを感じました。数年前に1つ目のブログに「東洋バス」の
画像を並べたこともありましたが、並べている画像が今以上にヘボい等思うところもあり、
新たに画像を差替・追加して2つ目のブログで再更新していきたいと思います。
なお、東洋バスに関しては型式・登録年を紹介した文献は持ち合わせておりませんが、
今回は型式に関しては窓割りなどからの推定、登録年はバスマガジンvol10、「京成バ
ス所有車両全データ」など京成バス習志野ナンバーの登録年から推定したものをとなり
ます。ノンステップバスに関しては『バスラマインターナショナル』、及び『年鑑バスラマ』
掲載の「ノンステップバス採用状況」を参照しております。あらかじめご了承願います。
習志野22を3138.KC-MP317M(97年車)。
まずはツーステップの車両から。リヤからの画像のみで失礼します。
97年に登場したと推定されるニューエアロスター。東洋バスはこれまで大型車に関して
長尺主体で導入していましたが、この車両では標準尺に変更されました。96年に東葉高
速鉄道が開通し大規模な路線改変を行った影響があるのかもしれません。
数年前までは、同型車がラッピングバスとなって路線で運用されていましたが、現在で
はスクールバス仕業がもっぱらの様子。東洋バスでもニューエアロスターが古参に入る
とは、いつもながらの感想ですが時間が経つのは早いものです。
習志野22を3217.KC-MP219J(98年車)。
前後扉の中型車。中型車に関しては、一時期の標準仕様だった青色のガラスで継続導入
していました。ツーステップの中型車はおそらく千葉シーサイドバスへグループ間転籍して
いるものと思われますが、参考までに。正面に乗降・運賃支払方法を示す看板が付いてい
ました。
習志野200か225.KL-MP37JM(02年車)。
東葉高速鉄道線開通による影響は大きく、引き続き不採算路線の撤退(ぐるっと号への再
編)、路線再編、幕張地区を千葉シーサイドバス・貸切事業をニュー東洋バスへ分社など
様々な動きがありました。その関係からか、数年間車両代替が少ない時期が続きました。
久々に大量導入があったのは2002年、満を持してノンステップバスが登場。旧塗装ブル
や5Eを入れ替えていきました。
習志野200か340.KL-MP37JM(03年車)。
八都県市のディーゼル車規制開始を控え、P規制車代替の為、引き続きノンステップバ
スを導入。U規制の大型ツーステップ車をスクール運用へと追いやっていきました。画像
は中乗りとなり、出入口表記が前中扉とも「出入口」となった現在の様子です。
習志野200か343.KL-MP37JM(03年車)。
導入当初はご覧のように前面行先表示横に「前 乗 り
まえ払い」 の表記がありました。
ちなみに画像は、旧ゆりのき台車庫廃止にともない、旧車庫前にあったガソリンスタンド
跡に整備された休憩所?で記録したものです。こちらも現在では医療センターへの路線
延伸により無くなりました。
習志野200か415.KL-MP33JM。
ワンステップバスはノンステップバスに遅れて登場。登録年は03~04年と微妙なところ。
スクールバスの主力だったエアロスターMが引退した現在、これらワンステップバスがス
クールバスや特定運用の中心になっています。この車両は、今も「前乗り」表記が残って
いることから専用車となっているようです。
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