BJハンドブックシリーズ X119

拙ブログの月末は何かしらの感想めいたものを書いておきたい。ということで、バスに関する書籍を購入したら感想めいたものをブログに書いておくシリーズを更新です。

今回は今年10月に刊行された『BJハンドブックシリーズX119 京都市交通局 高槻市交通部』です。


京都200か1731.PDG-AA273MAN(07年車)。2025年11月記録。


大阪200か2150.PJ-LV234L1(07年車)。2025年11月記録。

本作は府境ごしに隣接する京都市と高槻市、それぞれの公営バス事業者を取り上げています。表紙の写真は京都市交通局、バスの塗装を模したイラストは高槻市交通部という装丁です。

京都市交通局はBJハンドブックシリーズで取り上げられるのは2度目で、前作は2008年の『BJハンドブックシリーズR63 京都市交通局』でした。一方、高槻市交通部はBJハンドブックシリーズ初登場となります。ちなみに『バスマガジン』誌の「バス会社潜入レポート」では両事業者とも1度取り上げられていますが、どちらもBJエディターズは執筆を担当していません。

さて、本作の掲載事業者はタイトルの通り「京都市交通局」と「高槻市交通部」の2事業者だけで、2025年6月30日現在の在籍車両をもとに編集しています。構成はBJハンドブックシリーズの安定&おなじみとなった、車両編・歴史編・紀行編の3部構成です。もちろん車両編・歴史編は当然事業者毎に分けられています。

「終点の構図」は高槻市交通部から市内北部樫田地域の「杉生」となっています。ちなみに、高槻市交通部は2025年11月1日から樫田地域路線の大部分を利用者登録が必要の予約制デマンドバス「かしらく号」に転換しました。今回掲載された「杉生」をはじめ、樫田地域への路線末端部まで大型バスが乗り入れる光景は過去のものとなりました。
   
車両編は「現有車両のアルバム」・「現有車両一覧表」・「現有車両車種別解説」を掲載。

京都市交通局の古参格となるのが、数台残る2006年に導入したPJ規制車のいすゞLVと2007年に導入したPJ規制車の日野KV・ATのためPDG規制車となる三菱ふそうAAです。前作ハンドブックシリーズで新車だった車両が最古参となるのですから、時が経つのは早いものです。ちなみに前作の最古参は1993年導入車で、だいたい14~15年程度で車両代替を行っていました。2008年当時に比べると、現在は2~3年長く使うようになりました。
いっぽう、高槻市交通部の最古参だったのが、なぜか1台だけ在籍している初度登録2005年のKL規制車のいすゞLVです。この車両は一度廃車後に再登録したというイレギュラー的存在なので、古参格といえるのがPJ規制車のいすゞLVなど2006年導入車となります。
歴史編は、京都市交通局が14ページに対し高槻市交通部は6ページ。両事業者でページ数にだいぶ差がありますが、歴史の長さや事業規模を考慮すればいたしかたありません。京都市交通局の歴史編は前作をベースに、近年部分を大幅に加筆。均一運賃エリアの拡大やインバウンド旅行者など観光客の増加に対応した施策など2010年代以降の前向きな取り組みを多く紹介しています。
BJハンドブックシリーズ初登場の高槻市交通部は当然ながら書き下ろしの新作です。高槻市の市営バスは1954年に地場の小規模事業者だった「日之出バス」を買収したことでスタートしましたが、特筆すべきはこの買収に阪急バスが仲介という形で大きく関わっていることです。さらっと書かれていますが、かなり厄介な状況を京阪神急行(現:阪急電鉄)が高槻市のためという、今では考えられないような理由で対応したようです。
日之出バスは高槻から京都府の亀岡駅や柳谷までの路線も有していたことから、高槻市営バスは運行開始当初から市域外までの路線を運行していました。1950年代は隣接町村との合併で高槻市域が拡大し、市営バスは市内路線を拡充していきました。しかしだいぶ無理をした拡充だったようで経営状況は悪化し、1960年代の終わり頃から経営再建・合理化の取り組みを開始しました。経営再建の一環で不採算路線の廃止を行い、市域外路線として最後まで残っていた亀岡駅までの路線は1983年に市内の杉生まで短縮されました。歴史編には亀岡駅前に停車する高槻市営バスという貴重な写真を掲載しています。1985年に不良債務を一掃したあたりから世はバブル景気に突入。新たな住宅開発が進むとともに、郊外の大学キャンパス新設もあり、新たな旅客需要に対応した路線を開設するなど、高槻市営バスが時代にあわせた経営を続けていることが良く分かりました。

紀行編は「“涼”を求めて川辺を散歩」。朝8時から昼過ぎまで高槻市内を流れる芥川沿いを中心に高槻市営バスを乗り歩き、高槻市駅から阪急京都線を利用して京都市へ。四条大宮から市バスで上賀茂神社と下鴨神社を観光、「鴨川納涼床」で夕食をとり20時半に京都駅着という長丁場な一日乗り歩きルポとなっています。

感想めいたものはこのくらいにして、ここからは小生手持ちの「京都市交通局」と「高槻市交通部」の画像を並べていきます。

なお、本文中の「斜字 」部分は本作からの引用部分、型式・年式は掲載の「現有車両一覧表」を参照しました。

旭川市内で見たバス2025(旭川電気軌道編その4)

6月に旭川へ出かけた際に記録したバス画像のよせ集め、「旭川市内で見たバス2025」シリーズ。今回の旭川電気軌道編その4では、旭川空港線や旭岳線の運用がメインとなっているトップドア車の画像を並べていきます。

なお、型式・年式は「旭川電気軌道 在籍車両一覧」『バスラマインターナショナル212号』(2025),ぽると出版 を参照しました。


旭川200か605.PKG-RA274TAN(07年車)。
まずは2007年に旭川空港線向けの専用車として1台導入した西工E型ボディを架装した日産ディーゼルRAツーステップ車。クーラーはサーモキング製を搭載し、テールライトは日産シビリアンと同じものを装備しています。
市内中心部から旭川空港までは比較的短距離ということもあり、当時はこの程度の仕様で十分と判断した模様。2010年には同型車を2台追加導入しました。
しかし、インバウンド旅行者の増加で大きなスーツケースなど荷物を収納出来るスペースが求められるようになってくると、E型ボディのトランク収容力では・・・。現在は旭岳線の運用をメインとしているとのこと。
塗装は貸切・都市間高速車に採用している雪の結晶をちりばめたデザインで、雪の結晶はピンク色を採用しています。


旭川200か1065.KL-MS86MP(04年車)。
ピンクの雪の結晶塗装デザインで旭川空港線向けに登場した三菱ふそうMSハイデッカー。旭川電気軌道をバス会社潜入レポートで取り上げた『バスマガジン125号』によれば、神奈川県の貸切バス事業者、神田交通からの移籍車とのこと。旭川空港線向けのハイデッカー移籍車は正面の行先表示をLED機、側面は表示板というのが今のところの標準装備です。

旭川市内で見たバス2025(旭川電気軌道編その3)

6月に旭川へ出かけた際に記録したバス画像のよせ集め、「旭川市内で見たバス2025」シリーズ。今回の旭川電気軌道編その3では、記録出来た乗合移籍車の画像を並べていきます。

なお、型式・年式は「旭川電気軌道 在籍車両一覧」『バスラマインターナショナル212号』(2025),ぽると出版 を参照しました。


旭川230あ6001.KL-MP35JM(04年車)。
1990年代まで新車と並行して神奈川中央交通などから移籍車をコンスタントに導入してきた旭川電気軌道ですが、1997年のノンステップ車導入開始で方針転換。以降ノンステップ車の新車導入にこだわってきましたが、2000年代後半に息切れ。そこそこの台数が残っていたツーステップ車を全て置き換えることは出来ませんでした。2018年頃からツーステップ・ノンステップ古参車代替のため移籍車導入を再開しました。
既にナンバープレートは乗合車を2000番台、都市間高速車を5500番台、貸切車を7700番台の希望番号で取得するようになっていたので、乗合移籍車は6000番台で取得しています。
2018年の移籍車導入再開時に登場した車両のほとんどが神奈川中央交通からのワンステップ移籍車でした。神奈川中央交通の特徴的な仕様の前面運賃支払い窓や側面出入口幕はそのまま活用し、ボディは全面ラッピング広告で屋根部やミラーステーなど元の事業者の塗装が見える状態となっています。
まずは三菱ふそうMPワンステップ移籍車。

旭川市内で見たバス2025(旭川電気軌道編その2)

6月に旭川へ出かけた際に記録したバス画像のよせ集め、「旭川市内で見たバス2025」シリーズ。今回の旭川電気軌道編その2では、2013年から2016年の間に導入した自社発注路線車の画像を並べていきます。

なお、型式・年式は「旭川電気軌道 在籍車両一覧」『バスラマインターナショナル212号』(2025),ぽると出版 を参照しました。


旭川200あ2000.QPG-LV234Q3(13年車)。
2013年からナンバープレートを希望番号で取得するようになった旭川電気軌道。型式を参照したバスラマインターナショナルの記事によれば、2000番台は自社発注で「一般路線、旭岳線・旭川空港線のうちの前中扉車 」をあらわすとのこと。
栄えある2000番台の1号車となったのが、いすゞLVワンステップ車。旭川電気軌道は低床車をいきなりノンステップ車で導入したので、自社発注でワンステップ車を導入するのはこの車両が初とのこと。旭岳方面への中距離路線向けに導入し、ボディ塗装は白色ベースのデザインで登場しました。現在は全面ラッピングを施し「旭山どうぶつえん号」となり、旭山動物園への路線運用が中心となっているようです。

旭川市内で見たバス2025(旭川電気軌道編その1)

6月に旭川へ出かけた際に記録したバス画像のよせ集め、「旭川市内で見たバス2025」シリーズ。今回の旭川電気軌道編その1では、1997年から2009年に導入した自社発注路線車の画像を並べていきます。

なお、型式・年式は「旭川電気軌道 在籍車両一覧」『バスラマインターナショナル212号』(2025),ぽると出版 を参照しました。


旭川22か1130.KC-MP747M(97年車)。
三菱ふそうがMPノンステップバスを販売開始してからまだ間もない1997年。まだまだノンステップバスは特殊な車両でしかも高額、導入しても1~3台程度の事業者がほとんどでした。そのような状況のなか、旭川電気軌道は一挙に10台導入しました。
1997年に導入したMPノンステップバスは前中扉ともグライドスライドドアを採用し、側面窓の上部開閉仕様となっています。グライドスライドドアの中扉に三菱重工製の旧式パッケージクーラーを前方に載せ、車内は後方に対面シートという配列、これぞMPの初期ノンステップバスという感じです。
側面行先表示は既存ツーステップ車にあわせて窓下に設置しており、方向幕からLED表示機に取り替えた際に表示窓部を拡大する改造を施しています。
塗装は既存車と全く異なる銀地にカッティングシートを多用した「アーバス」デザインを採用し、以後旭川電気軌道のノンステップ車の標準となりました。1997年導入車は画像の1台を残すのみとなりましたが、この日はごく普通に運用に入っていました。


旭川22か1221.KC-MP747M(98年車)。
ノンステップバスの継続導入を決定し、翌1998年もMPノンステップバスを10台導入しました。1998年導入車から側面窓を断熱や曇り止めに効果のあるペアガラスの固定窓を採用しました。
側面行先表示は引き続き側面窓下設置で登場しましたが、のちに側面窓部へ移設。窓下にあった表示窓部を画像の車両はカッティングシートを上から貼って隠しています。

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